明治波濤歌

玄米・黄麹・どんぶり仕込み・兜釜蒸留

球磨焼酎 明治波濤歌

明治時代の確かな文献をもとに、当時の製法を可能な限り忠実に再現して、現代によみがえらせた明治の球磨焼酎です。それは、室町時代から明治時代まで続いた造りによる球磨焼酎の原点となる味わい。原料はすべて玄米。そこに黄麹を育て、日本の酒造りのルーツといえるどんぶり仕込み。そして蒸留は兜釜蒸留。古い造りではあっても、香りは芳醇で、上品な甘さが感じられる味わい。これは、ひたすら深い味わいにこだわり続けた先人たちの知恵と情熱が込められた焼酎です。

商品名:球磨焼酎 明治波濤歌(めいじはとうか)原材料:玄米(人吉球磨産)・玄米麹(人吉球磨産米使用)アルコール度数:35度 容量:720ml

商標・ラベルデザイン

装丁家 毛利一枝さん

装丁家 毛利一枝さん

明治の人はどんなお酒を飲んでいたのだろう…。
大和一酒造さんで再現された明治の焼酎を試飲させて頂いた時の感動は忘れません。えもいえず清らかな深い味わいのもので、喉を通りすぎた後も、ずっと余韻が残るのでした。焼酎の名も、かの作家・山田風太郎の小説のタイトル『明治波濤歌』から戴いた名前。私は常日頃は本の装丁の仕事をしているのですが、この度、この焼酎の商標デザインを依頼され、「明治」と「現在」が波濤で繋がっている、それはとてもワクワクするうれしい楽しい仕事となりました。秋の夜長、本を読みながら、ゆっくりと『明治波濤歌』を小さめのグラスに生で注いで、ゆったり愉しみたいと思います。

筑紫女学園卒業後、グラフィックのデザイナーとなる。1965年、西日本日宣美展優秀賞受賞。
ヨーロッパやシルクロードを放浪の後、イタリア居住。帰国後、1983年、葦書房 故久本三多氏のすすめにより装幀の世界に入る。弦書房、西日本新聞ほか地元出版社をはじめ、思潮社、平凡社、春風社、現代書館、筑摩書房、講談社、岩波書店、ミネルヴァ書房、マツノ書店など、東京、京都の出版社を中心に装幀、装画約1000冊を手がける。現在、宮本常一『私の日本地図』全15巻(未來社)、『山之口獏全集』全4巻(思潮社)、『新修福岡市史』全35巻、『現代詩手帖』(月刊)など進行中。
毛利 一枝 webサイト:http://www.soutei.com/

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誕生物語

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田山花袋など明治の文化人が当時の球磨焼酎を高く評価している記述が残されています。それは室町時代から明治までの四百年間受け継がれた味わいです。またその後に失われてしまった味わいでもあります。

「飲んでみたい。味わってみたい。芳烈で滋味に富むまぼろしの焼酎を手に入れたい。」私はそんな思いにかられました。明治、大正の文献を読みあさり、その製法が明治41年の文献(税田徳「球磨焼酎に就きて」醸造協會雑誌)に克明に残されているのを見つけました。その味わいを手に入れたいと日ごとに増す衝動を抑え、地道な作業を繰り返しました。試験管レベルでの実験、古い木桶の修理、当時と同じ寸法で兜釜蒸留器を復元。

〈玄米に黄麹を育て、煮米とともに小さな木桶にどんぶり仕込み。長期の熟成後、薪を焚いての兜釜蒸留。〉
可能な限り忠実に文献の製法を再現しました。数々の失敗を重ねながら、先人たちが残した蒸留器に幾度となく問いかけました。
「焦げつかないような火加減はどうすればいいのか?」「なぜもろみを固体と液体に分離するのか?」「なぜ冷却水を30度で入れ替えるのか?」 「もろみの度数が低いのになぜ原酒の度数は高いのか?」数えきれないほどの疑問に一つひとつ先人たちは答えてくれました。
時空を超えて、先人たちに遭い、その知恵と工夫に驚かされ、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。私のこだわりに賛同してくれたスタッフ、そして先人たちに支えられ、構想から4年、漸く明治の球磨焼酎を再現することができました。

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「明治波濤歌」の造り方

1.玄米

明治の蔵人たちは「玄米でなければ焼酎はできない」とまで断言し、玄米にこだわっていました。麹をつくるのも玄米、仕込みをするのも玄米。酒の神様と称された野白金一氏は、玄米で造られたかつての球磨焼酎を「味は滋味に富み、口当たりが穏和で珍重されたものだ。」と評価しています。そんな明治の球磨焼酎を再現するため、「明治波濤歌」の原料はもちろんすべて玄米。しかも地元産のお米です。人吉球磨地方の自然、風土に育まれたお米のもつ味わい深さ、力強さが活きている玄米をそのまま焼酎の原料に使います。

玄米イメージ

黄麹イメージ

2.黄麹

今では焼酎に使う麹と言えば白麹がほとんど。最近、昔の味わいということで黒麹がもてはやされたりしましたが、実は、黒麹が使われるずっと以前から長きにわたって使われてきたのは黄麹なのです。球磨焼酎においては、室町時代から昭和16年頃までは黄麹での焼酎造り、
その後少しだけ黒麹が使われて、今はほとんど白麹という状況。球磨焼酎の歴史は500年と言われますが、そのうち450年間は黄麹を使っていたのです。そもそも黄麹にはアスペルギルス・オリゼーという学名がついていますが、「オリゼー」は稲を意味します。米の酒、米焼酎と黄麹とは切っても切れない関係があるのです。しかし、実は明治時代までは、種麹を使っていません。蒸した玄米に木灰を混ぜ一定の温度で放置しておくと自然と黄麹菌がお米に生えてくるのです。日本の風土の中でお米に自然に生えてきた黄麹菌。
それを活かした焼酎。これが球磨焼酎の原点です。

「明治波濤歌」では黄麹の種麹を用いています。実験としては玄米と木灰で黄麹を育てることに成功していますが、まだ明治の蔵人の技には及ばず、しっかりした麹をつくるには至っていないからです。これはこれからの課題です。いつの日か、明治の蔵人の技を完全に自分のものにしたいものです。

3.どんぶり仕込み

仕込み方法も明治の頃と今ではずいぶん違います。今の仕込み方法は二次仕込み法と言います。一次仕込みで米麹だけを仕込んで酵母を培養し、二次仕込みでこれに蒸米を掛けるというやりかたです。実はこれ、芋焼酎の仕込み方法として考え出されたものを米焼酎にも適応したもの。球磨焼酎では昭和17年頃に導入されました。 どんぶり仕込みは、室町から明治の終わりまで続いた仕込み方法です。菅間誠之助氏によると、球磨焼酎のどんぶり仕込みは室町時代以前の日本酒の造り方を受け継ぐ貴重なものだったそうです。その方法というのは、玄米麹と炊いた玄米を一度に仕込むというシンプルなもの。

どんぶり仕込みイメージ

とても小さな木桶に仕込むので、櫂棒も使わずに素手で原料をまぜます。米の軟らかさや温かさなどを肌で感じることができます。このどんぶり仕込みでは、発酵がとてもゆっくりと進むため、長い時は50日くらい時間をかけて熟成させる必要があったようです。

兜釜蒸留

4.兜釜蒸留

兜釜というのは、冷却のために水を入れておく釜が兜をひっくり返したような形だからそう呼ばれます。この兜釜蒸留も室町から明治まで400年間続いてきたと考えられる蒸留方法です。明治時代の兜釜蒸留器は今では残っていません。そこで、兜釜蒸留器の寸法が細かく記された明治の文献を頼りに、桶職人さんや金属加工業者に特別にお願いして明治の頃と同じ寸法の兜釜蒸留器を再現しました。この蒸留器を使っての蒸留がなかなか難しく、何十回も失敗を繰り返してようやく自分なりの答えにたどり着きました。

蒸留の方法は次の通りです。まず、熟成した約100Lのもろみに木灰を入れて酸を除去し、次に籾殻を入れて笊でこします。そしてその液体だけを下の釜に入れ、固形分は釜の上部に載せた笊に広げます。そのあと蒸留器を組み立てます。下釜の上に底のない桶(甑)を載せ、それに竹筒を通し、漏斗を置きます。最後に兜釜を載せてそれに水を注いだら蒸留の準備完了です。蒸気が漏れないように隙間には団子をのばして詰めておきます。薪を使って加熱するのですが、初めはどんどん燃やして強い火力で温めます。下釜のもろみが沸騰すると、その蒸気が笊に広げた固形分を温めながら上昇し、上の兜釜で冷やされ焼酎のしずくとなって落ちます。
そのしずくが漏斗、竹筒を通って外に取りだされます。それがちょろちょろと出てくるようになったら薪を減らして火を弱め、とろ火でじっくり約半日蒸留を続けます。それでやっと45度の原酒が30Lほど取れるというわけです。

明治の球磨焼酎づくりで一番手間のかかるのは何と言ってもこの蒸留です。1回約4時間の蒸留で約100Lのもろみを蒸留しますが、大和一酒造元の現在の普通の蒸留では同じ時間で約1400Lのもろみを蒸留します。明治の兜釜蒸留は現在より14倍もの手間をかけているわけです。
しかし、こんなに面倒な造り方であっても生み出される焼酎はとても甘く、深く濃い味わいです。明治の蔵人たちがこだわった思いも良くわかります。

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山田風太郎について

山田風太郎氏は「甲賀忍法帖」や「魔界転生」など、伝奇小説で知られる昭和を代表する小説家の一人。
一方、「警視庁草紙」や「幻灯辻馬車」、「明治十字架」など明治を舞台にした歴史小説も数多く残しています。「明治波濤歌」もその一つ。これは激動の明治時代に波濤を越えて「海の向こう側」とのかかわりをもった榎本武揚や北村透谷、川上音二郎らたくさんの人々の物語を6つの連作として綴った中編集です。
明治の人間の生きざまがくっきりと浮かび上がり、混沌として、しかもエネルギーに満ち溢れた明治という時代が見事に映し出されています。

「波濤は運び来り 波濤は運び去る 明治の歌…」
「明治波濤歌」の本の扉に記されている言葉です。この言葉から、「港を出て行った人、入ってきた人たちの話」をこの作品がテーマとしていることがわかります。しかしさらに、開国の波に洗われた明治の時代に、新たに日本にもたらされたもの、そして失われたものが表現されているようにも思えます。

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一方の球磨焼酎。明治の製法は現在の製法とはまるで違っていました。どうして明治以降の蔵人たちは製法を変えてしまったのでしょうか。それは、明治を境に日本に押し寄せた合理主義の波が、長く受け継がれた伝統を運び去ったからにほかなりません。
効率性や経済性を志向したのと引き換えに、手間のかかる伝統的な球磨焼酎の製法と深い味わいが失われてしまったのです。それは、国の一番の財源が酒税であった時代の国家的な使命でもありました。こうして失ったものをもう一度取り戻したい。そう願って明治の焼酎を再現し、「明治波濤歌」と名付けました。「明治波濤歌」を飲みながら、明治時代に思いを馳せ、「伝統」の意味を想い起こしていただければ幸いです。
山田風太郎記念館:http://futarou.ez-site.jp/

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明治波濤歌の飲み方

明治という時代に思いを馳せながら、明治の球磨焼酎を当時の飲み方で味わってみる。

明治という時代に思いを馳せながら、明治の球磨焼酎を当時の飲み方で味わってみる。

明治時代の文献(税田徳『球磨焼酎に就きて』明治41年)には、
「明治の球磨人は、生焼酎(45度)に約3割の和水をなし、温めて後小猪口をもって飲むを習慣とせり」
とあります。つまり割水して35度となった焼酎をお燗してちびりちびりと飲んでいたわけです。
「明治波濤歌」の度数も35度。明治の左党と同じ飲み方、ぜひ一度お試しいただきたい飲み方です。

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    明治の焼酎本来の甘みや豊かな香味を楽しむことができる飲み方

    直燗

    1. 球磨地方の伝統的酒器「ガラ」に200mlほど焼酎を生(き)のまま注ぎます。
    2. 弱火にしたコンロに「ガラ」をのせて1~2分。40~50℃になるのを待ちます。
    3. 小さな杯「チョク」に注ぎ入れて、ちびりちびりと舐めるようにして飲みます。
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    豊かな香味をすっきりさわやかに味わう

    燗ロック

    1. 「ガラ」を使って直燗をします。
    2. グラスにたっぷりの氷を入れます。
    3. グラスの氷を溶かしながらゆっくりと熱い焼酎を注ぎ入れ、ステアします。

    「度数が高いのはちょっと苦手」という方にもおススメの飲み方。燗をつけて豊かにふくらんだ香味はそのままに、キリッと冷えた、飲みやすい焼酎ができあがります。
    もちろん熱で氷は溶けますので「水割り」に近いアルコール度数にはなりますが、味わいはより深く甘いものになります。

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    ウイスキーのロックを飲むように

    ロック

    1. よく冷えたグラスに大きめの氷を入れます。
    2. 氷の表面を滑らせるように焼酎を注ぎ、しっかりとステアします。

    「米本来のうまさを持った「明治波濤歌」はキリリと冷やしても甘みを十分に感じることができます。テーブルにチェイサーを置き、おいしい肴をつまみながら、食後酒としてお楽しみください。

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    食中酒として楽しむときに

    水割り・お湯割り

    食事と一緒に楽しむならば、アルコール度数はある程度低くした方が料理も焼酎も両方おいしく感じられます。季節や料理に合わせて水割りやお湯割りをして下さい。
    ただし、「明治波濤歌」は度数が少し高いので注意が必要です。通常の25度の焼酎と同じ割り方だとアルコール度数が高くなってしまいます。
    下の表を参考にお客様が一番おいしいと思える割り方を探してみて下さい。

    25度の焼酎の場合 35度の焼酎の場合
    焼酎 水や湯 アルコール度数 焼酎 水や湯 アルコール度数
    7 3 17.5% 5 5 17.5%
    6 4 15.0% 4 6 14.0%
    5 5 12.0%      
    4 6 10.0% 3 7 10.5%
    3 7 7.5% 2 8 7.5%

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